(1911年11月7日 - 1992年8月27日)  

ペンシルベニア州出身。
ハワイ大学にて東洋学修士号取得後、コロンビア大学、中国・日本学博士課程在籍。
早稲田大学、台北高等学校、台北高等商業学校英語教師。
早くから台湾研究に従事し、中国重慶の米国大使館付海軍武官補、
米在外公館台湾副領事、ワシントン大学、スタンフォード大学、
カリフォルニア大学バークレー校講師を歴任。

戦後は米陸軍および太平洋学術部会主導の琉球列島科学調査プロジェクトに参加、日本特に沖縄で現地調査に従事する傍ら琉球関係欧文文献史料の収集に従事。

ちなみに、台北高等学校英語教師への就任は、邱が尋常科2学年のとき。
台湾出身学生たちに人気があり、邱らはカーが台湾を去るとき送別会を開いている。
邱は「戦後、カーが副領事として、台湾に戻り、台北高校の英語教師であった時は、
アメリカ海軍に属し、情報員であった」と書いている。
  

またカーについては吉原ゆかり筑波大准教授が、
その台湾および沖縄へ関心を中心とする国際的な活動について研究し、
「1930 年代~50 年代のジョージ・H・カーと 環太平洋文化交渉の地政学著」を表し
文中、次のように書かれている。
「台北高等学校・台北高等商業学校 の英語教師として赴任することになる(1937 年8 月~ 41 年3 月).前述のと おり,邱永漢は,カーが台北高等学校に赴任した当時,尋常科第二学年に在籍 していた.邱の上級生で,カーの教えを受けた者には,父(林茂生:1887 〜 1947) が228 事件で行方不明となる林宗義(1920 〜2010)や,やはり228 事件で行方不明となる王育霖(1919 〜1947)がいる.王育霖の同級生には, 台湾生まれで,後に京都大学哲学教授となる上山春平(1921 〜2012) がい た」  

(参考 邱永漢著『濁水渓』、『わが青春の台湾 わが青春の香港』。  
    吉原ゆかり著『1930 年代~50 年代のジョージ・H・カーと 環太平洋文化交渉の地政学著』。
    カー(Kerr)文庫 - 琉球大学附属図書館)。