(1901年〜1984年3月17日)

(1)北山教授の履歴
1901年2月 東京都に生れる
1922年3月 第一高等学校文科甲類を卒業
1925年3月 東京帝国大学経済学部を卒業
1925-1930年 同学部の大学院学生から助手副手
1930-1942年 台北帝国大学助教授(文政学部勤務)
1942-1947年 東京帝国大学教授(経済学部勤務)
1946-1947年 大蔵省在外財産調査会『日本人の海外活動に関する歴史的調査』編纂
1949-1952年 大蔵省税務講習所長
1949-1971年 学習院大学教授(政経学部、経済学部勤務)
1964-1971年 学習院大学経済学部長

(2)邱の北山教授との交流

1942年、東京帝国大学教授経済学部に入学し
北山教授の「南京華僑」についての講演を聞く。
南方で活躍している「華僑の存在を教えられ、邱は眼を開かされる。
 
邱は北山ゼミに入り、北山教授から財政学を学ぶ。

1942年、邱は大学2年生のとき、中国共産党のスパイに間違われ、警官に追われ、一週間、留置される。
また1943年、邱は大学3年生の時、「満州経済」についての試験問題に答案を書いたところ、
「思想が悪い」と学部長からに睨まれ、退学処分を受けそうになる。
この時、北山教授が救いの手を差し伸べてくれ、邱は退学を免れる。
 
1944年、北山教授の 許可を得て邱は大学院に進む。
1945年、日本が大東亜戦争に敗れ、台湾が返還されることになり、邱は台湾に帰る。

帰台湾後、邱は国民党政府の統治に抗し、国連に提訴。
こんおため、香港に亡命するが、香港から日本に出張した際、その後の進路について、相談相手になってもらう。
 
香港から、再び、日本に戻ってきてからも北山先生と交流を続け、
北山先生が病気になり、療養が必要になった時、小説を書き、その治療費を捻出して差し上げる。

(参考1)邱永漢著『固定観念を脱する方法』。同著『わが青春の台湾 わが青春の香港』。同著『食は広州に在り』。同著『耳をとらんなかった話』)。

(参考2) 和田みき子氏のブログ。

( 参考3)東京大学経友会会員名簿。