(1919-1947)

⚪︎ 王育霖の経歴
1932年3月 台南市末廣公學校卒業。
      台北高等学校尋常科に入学。
1940年3月 台北高等学校文科甲類卒業。1940年3月 東京帝国大学法学部入学。
      在学中、日本の「高等文官試験」を受験し、司法官の資格を取得。
      (日本で最初の台湾出身の検察官となる)
1942年7月 陳仙槎氏と結婚
      東京帝国大学法科卒業。
1944年4月 東大法学部長穗積重遠の推薦により検察官となり「京都地方裁判所」(当時、日本で2番目に大きい裁判所)に派遣される。
・ 第二次世界大戦後、帰台して新竹市検察官を務めた。
新竹市長郭紹宗少将の汚職事件「救済粉ミルク」(通称粉虫案)関与の捜査に結果が出ないことに憤って辞職した後、台北市建国中学で教鞭を執るとともに、民報法律顧問を務めた。
  ・二二八事件の掃討期間に私服憲兵、警察に逮捕される。
・逮捕された後、王育霖は保安司令部第二処(もと西本願寺)に監禁され、拷問を受けた。
・三月末に処刑されて淡水河に遺棄され、遺体は今でも見つかっていない。

⚪︎ 邱永漢のかかわり
・邱が台北高等学校尋常科を受験する前、台北市で王からアドバイスを受ける。
・王と
邱は頼永祥氏の結婚式に参列する。
・邱が
王をモデルにした小説『検察官」を執筆。

(参考:
國立臺灣師範大學編「臺高歲月回眸-王育霖檢察官生平特展 -」
王育徳『「昭和」を生きた台湾青年』。
邱永漢著『わが青春の台湾 わが青春の香港』。同著『検察官』)