(1917/11/15)
・中央大学法学部を卒業し、都庁に勤務。
・大東亜戦争終結を機に、東京で、朱昭陽氏(東京大学法学部出身で大蔵省勤務)と謝国城氏(早稲田大学出身)を先輩格のリーダーととして「新生台湾建設研究会」を結成。
その世話役活動を行う。
・清正公前の東京都の寮を借り、勉強会を開く。
・台湾に帰ったあと、邱とともに、台湾総督府に勤務。しかし、仕事らしい仕事がないと三日で退職(邱は3ヶ月後に退職)。私立延平学院の設立に従事するが、「硬骨の徒ゆえに叛徒としてして捉えられ、獄につながれれる」。
(参考 邱永漢著『わが青春の台湾 わが青春の香港』。)
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