(1903年-2002年2月14日)。

⚪︎朱昭陽の生涯
台北板橋で生まれる。
1925年(昭和元年)東京帝国大学経済学部に入学。
1928年(昭和3年) 大蔵省に入省。
1944年(昭和19年) 専売局総局主計課長に就任。
1945年(昭和20年) 日本の敗北を踏まえ、東京で台湾出身者の横断的な組織「新生台湾建設研究会」を組織。
1946年(昭和21年)帰台。
1946年10月、延平大学設立準備を進めるが、学科不足との理由で大学としての認可が下りず、「延平学院」として開校。
1949年、延平学院の閉鎖を余儀なくされる。
1949年、東京で
「新生台湾研究会」を開設したことで、99日間、刑務所に拘禁される。
1949年
12月31日、釈放され帰宅。「新生台湾研究会」の解散宣言を余儀なくされる。
副校長の宋金英とともに、延平学院設立のため資金調達に取り組む。
1 959年、学制改革に従い、「中学」(日本の高校に相当)として改編される。
1990年、高齢のため、同窓生の蘇朱松に校長就任を要請を拡大し、自らは会長に就任。

⚪︎邱永漢のかかわり
・東京で開設された
「新生台湾建設研究会」に参加。
・帰台後、建設会社の経営に取り組んだ後、
延平学院の設立に奔走。
 延平学院(中学校)で英語教師を務める。

(参考:朱昭陽著『朱昭陽回憶録』。
永漢著『わが青春の台湾 わが青春の香港』。
    
邱永汉- 维基百科,自由的百科全书 - Wikipedia
    『賴永祥先生和「私立延平學院」』