(1927年生まれ)

⚪︎  邱亜蘭の経歴
1927年8月31日、中国広東省で生まれる。
・父親は広東と東南アジアで有名な「藩逸流」(漢方薬屋「潘高夀川貝枇杷露 」(ブンコウサウチュンベイバロウ))の五番目の男子 。
・父親は二番目の兄と一緒に香港に出て貿易業に従事

・兄、2人、姉妹、5人、合計7名の大家族の中で育つ。
・青春時代、小説家になりたいという願望を持つ。
1951年(昭和26年) 4月4日知り合って3週間余りで邱炳南と婚約。
1951年(昭和26年)5月10日邱炳南と結婚。
・1952年(昭和27年)12月21日、香港島セント・マリー病院で長女、世嬪(サイパン)誕生。
1955年(昭和30年)11月10日長男、世悦が自由ヶ丘の桜井病院で誕生。
 1957年(昭和32年)1月8日 次男世原が誕生する。


⚪︎  邱永漢の活動に対する貢献
家に女中が6人もいる家の娘として育ち料理をすることなく育つ結婚してから料理を勉強開始。育ってきた感環境とたくまぬ研究心により多くの要人賓客を自宅に招き「邱飯店」の名を高くし名著『邱飯店メニュー』誕生舞台を創り出す
・米国でのウオッシュ・マシンの流行に、「これは流行る」と邱が読んだコン、ランドリーを企画、その経営を一手に担い、都立大学前フードセンター内、二軒目は中野、三軒目は荏原中延(えはら・なかノブ)と一年半に八軒店を創り出す。
・邱がスーパー業の企てに失敗し、「死にたい、死にたい」と嘆き悲しんだとき、「そのくらいのことが何ですか。お金には、人間お生命を左右するだけの値打ちはありません」と一蹴する。
・邱が参院選に出馬し、落選。どの時「またもう一度、選挙をやるお積もりなら、私は香港に帰ります」と拒否し、再出馬を断念させる。
・邱が70歳を前にして、調子を崩したとき、「年をとってから事業に失敗し、無一文なるのは、辛いことだけれど、自分がヘソクリで買った家に移れば、死ぬまで食べるくらいのことはできますよ」と激励する。

(参考  邱永漢、邱亜蘭共著『邱家の中国家庭料理』。邱永漢著『わが青春の台湾 わが青春の香港』。邱永漢著(対談集)『こんなに違う金銭感覚』。同著『鮮度のある人生』。邱世嬪著『七転び八起きQ転び』。邱世嬪著『七転び八起きQ転び』(文庫版)の邱永漢の解説)。)